re6a)日露戦争と現竹島 2008/ 4/21 21:14 [ No.16483 / 16494 ]
投稿者 : take_8591
日露戦争(日本海海戦)は、「バルチック艦隊を全滅させなければ日本の負け」という史上稀な命題を負わされた戦争でした。この時、現竹島が果した(果すべき)役割は小さなものではありませんでした。それは次の頁等で報告されています。
http://www.dokdo-takeshima.com/dokdo-territory-annexations.html
http://www.dokdo-takeshima.com/dokdo-territory-annexations2.html
http://www.dokdo-takeshima.com/dokdo-territory-annexations3.html
http://www.dokdo-takeshima.com/dokdo-ulsan-tsushima.html
http://www.dokdo-takeshima.com/dokdo-ulsan-tsushima-2.html
しかし、上のURLでも明らかなように、監視搭が建てられたのはリャンコ島だけではなく、鬱陵島にも建てられました。この鬱陵島の監視搭は日本軍が勝手に建てたものでした。仮にリャンコ島が朝鮮領であったとしても、軍事施設は日本軍が勝手に建てられるものでした。日露戦争の遂行の為にであればリャンコ島の編入は必要ありません、リャンコ島を「臨検収用」すればよいのです。もしかしたら、朝鮮に事後連絡が必要であったかもしれませんが、事後連絡等の必要性を説いたweb頁を未だ知りません。
すると、「肝付はリヤンコ島が朝鮮領であることを知ったうえで、日露戦争を有利に遂行するため、竹島=独島に望楼を築いてロシア艦を監視するという軍事利用に協力すべく、同島の「領土編入」を後押しした人物でした。その目的のためにウソも方便でリヤンコ島を「無主地」と強弁したとみられます。[No.4629]」というような非常な覚悟をする必要は無いのです。
しかも、肝付兼行・牧朴眞・山座円次郞という3人もの者が、自分の認識とは異なる「目的のためにウソも方便」をしたと言うのです。
この中井氏の前に現れた3人の官僚が揃って気骨の無い官僚であったなら、日露戦争に勝利することは出来なかったと思います。
日韓議定書(明治37年2月23日)
第四条
(一)第三国の侵害により、もしくは内乱の為、大韓帝国の皇室の安寧あるいは領土の保全に危険ある場合は、大日本帝国政府は、すみやかに臨機、必要の措置を取るべし。しかして大韓帝国政府は、右大日本帝国の行動を容易ならしむる為、十分便宜を与うる事。
(二)大日本帝国政府は、前項の目的を達する為、軍略上、必要の地点を臨検収用することを得る事。
竹島の望楼は舞鶴鎮守府所管 2008/ 4/21 23:32 [ No.16486 / 16494 ]
投稿者 : henchin_pokoider01
鬱陵島も含めて韓国に建設された望楼は佐世保鎮守府所管
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/mosd-chiyoda496/16.jpg
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/mosd-chiyoda496/11x.jpg
所在の住所にも「韓國」が明記されている。
竹島の望楼は舞鶴鎮守府所管
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/mosd-chiyoda496/27.jpg
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/mosd-chiyoda496/14x.jpg
日本軍が竹島を韓国領と考えていたとは思えないな。
re6a)日韓議定書のリャンコ島 2008/ 4/23 8:47 [ No.16493 / 16494 ]
投稿者 : take_8591
1614年に、日本と朝鮮は鬱陵島の領有を主張しあい、結論に至りませんでした。
1667年に、日本(徳川幕府)は鬱陵島の領有を主張した後に、鬱陵島への渡海を禁止してこの事を朝鮮に連絡しました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a10kou2032-1877/011.jpg
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a10kou2032-1877/012.jpg
1883年に、日本(明治政府)は鬱陵島への渡海を禁止して、この事を朝鮮に連絡しました。
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a11rui97/2.jpg
http://www.tanaka-kunitaka.net/takeshima/2a11rui97/3.jpg
これら事実により、日本政府は、「鬱陵島に3度日本の侵略を受けたが何れも撃退した」という朝鮮政府の認識を知らなければなりません。
しかし、リャンコ島は鬱陵島より日本側にありますから、朝鮮政府がリャンコ島の存在を知らなかった場合、日本がリャンコ島は日本領という認識を形成するのに問題はありません。又、朝鮮政府がリャンコ島を朝鮮領と考えていたとしても、その意思が明示的に表示されたことはありませんから、日本がリャンコ島は日本領という認識を形成するのに問題はありません。100kmも離れた島を鬱陵島の属島と認識しているかも知れないという注意義務が日本に無いからです。
そして、1904年日韓議定書第3条に「大日本帝国政府は、大韓帝国の独立及び領土保全を確実に保証する事」とありますが、ここにリャンコ島が大韓帝国の領土であるという認識の存在を認められませんから、大日本帝国政府は第3国のリャンコ島侵略を日韓議定書に基づき撃退する義務はありません。
すると、1905年のリャンコ島編入に際して、少なくとも韓国に対してだけは告知する義務が無かったといえます。
更に、1906年島根県は、リャンコ島編入を朝鮮に連絡します。この時、大韓帝国は日本政府に抗議をしませんでした。仮に、日韓議定書のいう「大韓帝国の領土」にリャンコ島が含まれているとするならば、不可解な行動といわざるを得ません。この日韓議定書違反は、明らかに朝鮮侵略を意味しているからです。当時の大韓帝国に「他の事で忙しく、無人島の領有を争う暇が無かった」と言い訳できるほどに忙しかった他の事はありません。
http://take8591.web.fc2.com/06web/9100etc/080417/820.htm
http://take8591.web.fc2.com/06web/9100etc/080417/830.htm
すると、日韓議定書のいう「大韓帝国の領土」にリャンコ島が含まれていなかったと確認できます。
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