2010年2月25日木曜日
◎ 日本は古くから竹島の存在を認識
1 日本は古くから竹島の存在を認識していました。
現在の竹島は、我が国ではかつて「松島」と呼ばれ、逆に鬱陵島が「竹島」や「磯竹島」と呼ばれていました。竹島や鬱陵島の名称については、ヨーロッパの探検家等による鬱陵島の測位の誤りにより一時的な混乱があったものの、我が国が「竹島」と「松島」の存在を古くから承知していたことは各種の地図や文献からも確認できます。例えば、経緯線を投影した刊行日本図として最も代表的な長久保赤水の「改正日本輿地路程全図」(1779年初版)のほか、鬱陵島と竹島を朝鮮半島と隠岐諸島との間に的確に記載している地図は多数存在します。
外務省パンフレットへの批判1 2008/ 4/12 13:07 [ No.16407 / 16480 ]
投稿者 : ban_wol_seong
半月城です。
外務省は、これまで北方領土問題に関するパンフレットは熱心に発行しても、竹島=独島問題に関するパンフレットはまったく発行しませんでした。ところが今年2月、北東アジア課が「竹島問題を理解するための10のポイント」と題してパンフレットを初めて発行したので注目されます。
そのパンフレットで一番の注目は、竹島=独島を版図外とした明治政府の太政官指令をどう記述するのかという点でした。しかし、その記述はなく、肩すかしに終りました。
かつて、外務省は韓国の通信社「聯合ニュース」から <日本政府は「獨島は日本と関係がない」と結論付けた『太政官指令文』の内容をどのように評価されますか>との質問を受けていました。
これに対して外務省は「太政官指令文の存在を知っている。この問題に対しては現在調査中であり、現時点で答えることはできない」とか、「まだ調査中」との回答のまま現在に至りました(注1)。
それから2年も経つのに、外務省が今回のパンフレットでも太政官指令にまったくふれなかったのは、外務省にとって都合の悪い資料は公にしない方針なのか、それともその事実を内外にどう公表すべきかで結論がでなかったのか、ともかく煮え切らない態度です。
この太政官指令は同省の主張する「竹島は日本の固有領土」というキャッチフレーズに反するだけに、同省にとってはアキレス腱的な存在になっているようです。
その点、島根県は潔く太政官指令を認める公式見解を出しました。それを『フォトしまね』161号「竹島特集」に見ることができます。同書は、<太政官は、同島(欝陵島)と外一島を「本邦関係無之」とし、日本領でないとの認識を示した。外一島とは、現在の竹島とみられる>と記しました。
すなわち、島根県は太政官が竹島=独島を版図外にしたと解釈しました。いずれ外務省も島根県の見解に賛成するのでしょうか。
外務省は、このように最も肝心なことを隠したままパンフレットを発行したのですが、一事が万事、外務省にとって都合の悪い資料は公表しない姿勢で一貫しているようです。その具体例はおいおい書くことにして、このシリーズではパンフレットを項目順に見ることにします。
1.「日本は古くから竹島の存在を認識していました」
パンフレットは日本が竹島=独島を熟知していた例として長久保赤水の「改正日本輿地路程全図」(赤水図)の1846年版を載せました。赤水図は7回改訂されたのですが、1846年版は6回目の改訂であり、弘化版とよばれます。
パンフレットは、本文で赤水図の初版を1779年と紹介しながら、資料価値の高い初版である安永版の地図を載せず、かわりに弘化版をカラーで載せたのですが、これはどうもふに落ちません。
よく知られているように、安永版は諸国の色分けに際し、竹島・松島の色を隠岐国とは異なり、朝鮮と同様に無色にしました。もし、この安永版を載せたら、見る人に竹島・松島は日本領外であるとの印象を与えかねないので、わざわざ竹島・松島が隠岐国と同じ色に彩色された弘化版を選んだのでしょうか。
さらに気になるのは、なぜ外務省は赤水図を持ちだしたのでしょうか。領有権論争において重要なのは官撰書や官撰図であり、赤水図などの私撰図は単なる参考でしかありません。
そうした観点からすると、官撰書の『隠州視聴合紀』は、日本が竹島=独島の存在を知っていた好例ですが、これにパンフレットは一言もふれていません。これらの問題については第3回「領有権」のところで書く予定です。
(注1)保坂祐二「<竹島問題研究会>「最終報告書」の問題点」『独島=竹島論争』(韓国語)ポゴサ刊、2008、P244
(半月城通信)http://www.han.org/a/half-moon/
1) 日本の竹島認識 2008/ 4/12 19:14 [ No.16415 / 16480 ]
投稿者 : take_8591
1 日本は古くから竹島の存在を認識していました。
半月城さん[ No.16407 ]は、「領有権論争において重要なのは官撰書や官撰図であり、赤水図などの私撰図は単なる参考でしかありません。」と批判します。
すると、同文中にある「資料価値の高い初版である安永版の地図を載せず」との批判が理解できません。「単なる参考」に過ぎないものであれば、その価値に優劣をつけるのは矛盾しています。
又、堀和生氏は「官撰地図」であるとし、舩杉力修氏は「準官撰地図」としています。どうして、半月城さんは私撰図とされるのでしょうか。その理由が明らかにされていません。
そして、外務省が「準官撰地図」と捉えているとした場合、敢えて1846年版を掲載したのはそれが天保の渡海禁止令以降に出されたものであるからと考えます。
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