re4)多田与左衛門の4ヶ条 2008/ 4/25 7:43 [ No.16496 / 16501 ]
投稿者 : take_8591
http://toron.pepper.jp/jp/take/ahn/ikken.html
の要約は次のとおりです。
1695年6月10日、対馬藩士多田与左衛門は4箇条を列挙して朝鮮政府への不信を詰問しました。
第一条、朝鮮側は鬱陵島には定期的に官吏を派遣していると言うが、鳥取や出雲の漁民達は、ここ81年来、貴国の官吏と遭遇した事はないが、何故か?
朝鮮回答:輿地勝覧によれば1472年頃までは官吏を派遣していた。近頃は、風濤危険なので往来しなかっただけだ。
第二条、これまで我が国の漁民が鬱陵島に出漁し、三度漂到した。それにも拘わらず、「犯越侵渉」として抗議しなかったのは何故か?
朝鮮回答:漂流した難民をお互いに還し合うのは、優先すべき正義である。その時に「犯越侵渉」を問わなかったからといって、その意が無かったとは言えない。
第三条、当初は「貴国の竹島、弊境の鬱陵島」としていたのに、今回は「鬱陵島と竹島を一島二名」としたのは何故か?
朝鮮回答:当初の回答は錯誤によるものである。これを変更して貴国の信を問うものだ。
第四条、1614年、東莱府からの書状には「本島即我国所謂鬱陵島」「他人の冒占を容れず」とあった。だが1618年*1)、鬱陵島に出漁した日本の漁民が貴国に到達した際には、領海侵犯として抗議を受けていない。両時の文意が合致していないのは何故か?
朝鮮回答:両時における朝廷の意は変わらない。ただ、詰問しなかっただけだ。
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輿地勝覧によれば1472年頃までは、鬱陵島が朝鮮領であったことが確認できます。しかしその後、1694年迄の200年間、朝鮮は官吏を鬱陵島に派遣することはありませんでした。この間、朝鮮にとって鬱陵島は忘れられた島だったのです。
この200年間、1614年に一度だけ、対馬藩から鬱陵島が日本領であることの確認を受けた光海君は「本島即我国所謂鬱陵島」「他人の冒占を容れず」と叫びましたが、この実態の無い観念的領有権の主張によって、日朝交渉は頓挫しました。
その後、日朝が鬱陵島の領有権を主張する中で、事件は次々と起こります。先ず、1618年に美保関の漁民が朝鮮に漂着しましたが、これを送還するに際し、朝鮮は領海侵犯として抗議をしませんでした。1637年と1666年に「竹島渡海免許」を所持した村川船と大谷船が朝鮮に漂着しましたが、朝鮮はこの時に「犯越侵渉」を問わなかった事を認めました。更に、1694年に「貴国の竹島」を認めました。
こうした状況下ですから、「実際に日本で日本の領土と考え、日本の領土として扱」った竹島に、「他国がそれを争わな」いまま、81年間渡海事業を継続したのですから「それで領有するには充分であった」といえます。
そして、朝鮮は光海君の叫び声は日本に聞こえていた筈だから、日本は鬱陵島を朝鮮領と考えなければならないと言いますが、同じことが日本側にも言えます。日本は竹島を支配しそのことを朝鮮に伝えており、朝鮮は日本の支配を知りうる機会を得ながら抗議をしていないので、朝鮮は竹島を日本領と考えなければならないのです。
この様に、多田与左衛門の交渉は成功していたのです。
(*1)原文は「78年前」とあります。これは美保関の馬多三伊等7人が朝鮮に漂着した事件を指すと思われます。韓国の李薫氏はその論文で送還されたのは1618(元和4)年としています。
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