re5)安龍福って何者? 2008/ 4/23 8:53 [ No.16494 / 16494 ]
投稿者 : take_8591
粛宗実録 1696-09-25
欝陵子山島等、定以朝鮮地界、至有関白書契、而本国不有定式、今又侵犯我境、是何道理云、
(安龍福は、隠岐島主と面談し)、「鬱陵島・于山島を以って朝鮮の地界と定めた関白の書契ある。日本では徹底していない。今また越境侵犯事件が起きた。これにどういう道理があるのか。(島根藩にこの道理を問うため来日した。」と答えた。)
吾将上疏関白、歴陳罪状、島主許之、遂使李仁成、構疏呈納、
(安龍福は、島根藩主と面談し)、「自分としては関白に上疏し、(対馬藩の)罪状を歴陳したい」と要求した。島根藩主が許したので、李仁成に上疏文を書かせた。
粛宗実録 1697-02-14
去秋貴國人有呈單事、 出於朝令耶?
(対馬藩が問う)去秋に貴国人が単子(上疏文)を呈じたが、これは朝廷の命令であるか?
至於漂風愚民, 設有所作爲, 亦非朝家所知,
(大臣が答える)漂風愚民がしたことであり、朝廷の知るところではない。
粛宗実録で認められる史実は、
①安龍福は、鬱陵島・于山島が朝鮮領であると主張し、上疏文を差し出した。
②この事は、対馬藩の知るところとなり、詰問を受けた。
③安龍福の事は朝廷とは関係ない。と答えた。
ところが、「東国文献備考(1770年)」「万機要覧(1808年)」に次のようにかかれるようになります。粛宗実録では安龍福の功を認めていないのに、「皆龍福功也」となってしまったのです。
倭至今 不復指 鬱陵爲日本地、皆龍福功也。
日本が今に至るまで、鬱陵島は日本の地だと主張できないのは、すべて安龍福の功績だ。
そして、戦後の韓国では万機要覧史観が更に歪められ、安龍福は独島を守った英雄になります。
この論理は、上記の粛宗実録から①の事実をのみ認めこれを前提において、これを補完するものとして②の事実を捉え、③の事実は考慮しないというデタラメなものでした。
ところで、1696年の春に安龍福が来日します。しかし、竹島渡海禁止の決定は、1696年の正月に為されたものです。安龍福の行動は領土問題とは何の関係もありません。又、安龍福の于山島認識というのは「漂風愚民」の認識であり、かかる人物の認識は領土問題とは何の関係もありません。
どうして、安龍福が議題にあがるのでしょうか。私には理解できません。
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