2010年2月25日木曜日

なぜ外一島の明瞭化が必要なのか  take_8591

re6a)なぜ外一島の明瞭化が必要なのか 2008/ 4/25 8:49 [ No.16498 / 16501 ]

投稿者 : take_8591



  http://www.enjyuku.com/d2/i_006.html
  に、意思表示は、次のように説明されています。
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  一定の法律効果を欲するという意思を外部に表示することである。意思表示は次の3つの部分から構成される。
   1:内心的効果意思=具体的にある法律効果を意欲する意思のこと。例えば店頭で品物を買おうと意欲する意思が内心的効果意思である。
   2:表示意思=内心的効果意思にもとづいて、その意思を表示しようとする意思のこと。例えば、店頭で品物を買うために、店員にその旨を伝えようとする意思である。(なお表示意思を内心的効果意思に含める考え方もある)
   3:表示行為=内心的効果意思を外部に表示する行為のこと。例えば、店頭で品物を買うために、店員にその旨を告げることである。
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  日本の民法では、内心的効果意思は法律効果を生じないとされています。国際法も同様で、領有権を確立させるには、公告とか実効支配等の「外に現れた意思」が必要とされています。
  1877年に太政官が「竹島外一島を版図外とする」旨の決定は、それだけで「領有権の放棄」にはなりません。天城の調査を経た後の1883年の「鬱陵島渡海禁止令」によって始めて鬱陵島の「領有権が放棄」されることになります。
  そもそも、1905年の竹島編入の閣議決定に効果を認めず、韓国への告知が無かったと主張している方が、同時に「外一島とはどこか」を論じているのは矛盾します。

  又、「外一島」とは何なのでしょうか。外一島が松島であるとの「内心的効果意思」を持っているなら、松島と明記する筈です。それを「外一島」とするのは、未だ特定していないからであり、その特定を指令の具体化に伴う官僚の判断に任せるという意味を持っています。そして、1883年に「外一島」はアルゴノート島又はチェクトとして具体化されたのかもしれません。


  さて、外務省は韓国の通信社から「外一島はどこか」旨の質問を受けました。係争国の通信社が、過去の「内心的効果意思」の明瞭化を求めるというのは無理な話です。又、この明瞭化は何の法律効果も生みません。具体的な「表示行為」を示してから質問するべきです。そして、具体的な「表示行為」を示めせないと推定でき、質問の趣旨が理解できないので、「まだ調査中」との回答しかできなくて当然です。



re6a)外務省の主張がお分かりでない 2008/ 5/ 1 7:20 [ No.16519 / 16520 ]

投稿者 : take_8591


 Q 次の文章の最後に「竹島を領有する意思を再確認しました」とありますが、最初に「竹島を領有する意思を確認した」のは何時でしょうか ?

  日本は古くから竹島の存在を認識していました。
  日本は、鬱陵島に渡る船がかり及び漁採地として竹島を利用し、遅くとも17世紀半ばには、竹島の領有権を確立しました。
  日本は、17世紀末、鬱陵島への渡航を禁止しましたが、竹島への渡航は禁止しませんでした。
  日本政府は、1905年、竹島を島根県に編入して、竹島を領有する意思を再確認しました。

 A 「遅くとも17世紀半ばには、竹島の領有権を確立しました。」とありますから、最初に竹島を領有する意思を確認したのは「17世紀半ば」です。
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  上の質問は、私立中学入試には出題されない程にレベルの低い問題とと思います。
  しかし、世界には多くの人がいますから「それは一体いつなのか首をひねりたくなります(No.16502)」と捉える人がいても不思議ではありません。そして、この方に対して「日本語がお分かりにならない ?」と評価するでしょう。尚、「明治時代に確認を求めているのでしょうか(No.16502)」との疑問が生ずる文章ではありません。明治初期に関しては全く触れていないからです。


  半月城さんの日本語読解力を小学生レベルと仮定します。
  すると、納得できる面が多々あります。
  例えば半月城さんは[ No.16105 ]において、「日本地誌提要」及び「地学雑誌の田中阿歌麻呂の論文」を掲げて外務省を批判していました。そこで、私は[ No.16134 ]を投稿し、次の批判をしました。
  ① 『日本地誌提要』が日本の領土外と断定しているというが、竹島・松島は「本州の属島外」であるけれども、「本州の島嶼内」であると記されています。
  ② 『地学雑誌』200号に、「明治初年に到り、正院地誌課にてその島(竹島=独島)が本邦の領有を完全に非認した」と記されているので、明治政府が両島を日本の領土外と断定しているというが、田中阿歌麻呂は地学雑誌210号で、「本誌200号に掲げた記事は、全く竹島の記事に非ずして、鬱陵島の記事なるが如し。」と半月城さんが紹介した記事を訂正しています。
  この2点は誤読の生ずる余地の無いものですが、半月城さんは、[No.16503]で同じ主張を繰り返しています。この現象を、恣意的な誤読と評価する方もいますが、「日本語読解力を小学生レベル」としても納得できます。


  外務省の見解は、「開国以前の日本には国際法の適用はないので、当時にあっては、実際に日本の領土として取り扱い、他の国がそれを争わなければ、それで領有するには十分であったと認められる(No.16447)。」というものです。
  これを上記主張に当てはめると、17世紀半ばに確立した現竹島の領有権は、1696年に朝鮮は争わず、1882年にも朝鮮が争っていませんから、「他の国がそれを争わなければ、それで領有するには十分であったと認められる」のです。
  ただし、この領有権は「竹島を領有する意思を再確認」しなければならない程度に不確かなものでした。故に、1905年、竹島を島根県に編入して、竹島を領有する意思を再確認しました。


  ですから、半月城さんの次の見解は誤読です。
  --------[ No.16504 ]-----------------------
  閣議決定書・・・は竹島=独島を無主地と判定し、国際法上の先占理論にのって竹島=独島を日本領とする閣議決定したのでした。無主地という明治政府の判断は「固有領土」の主張に矛盾することは言うまでもありません。
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