2010年2月25日木曜日

隠州視聴合記  take_8591

re3)隠州視聴合記      2008/ 4/19 12:40 [ No.16460 / 16480 ]

投稿者 : take_8591


隠州視聴合記は次のように要約されます。
  隠州は北海中にある。
  その南東にある地を島前と言う
  その東にある地を島後と言う
  南に雲州美穂関。南東に伯州赤碕浦。南西に石州温泉津。
  西北に松島竹島がある。
  よって、日本の北西の地は隠州である。


  冒頭にある隠岐島の説明を読んで、隠州が南東にある島前と東にある島後のみにより構成される、という解釈は不自然です。隠州を紹介するのに、南東と東にある地域のみを示して、これで全てだとする論法は無いからです。当然、西又は西北に残りの隠州があると推定されます。
  読み進めると、「西北に松島竹島がある」という文章に当り、納得できるのです。
  松島竹島という地名は、地域名が冠されていません。このことから、松島竹島が雲州・伯州・石州に属さないことが判ります。又、隠州視聴合記において、地域名を冠さない地名が表れた場合、それは全ての場合「隠州の地」を示しています。すると、この松島竹島が「隠州」の松島竹島であることに間違いありません。
  そして、松江藩預り領の隠州とそれ以外の隠州を、間に美穂関・赤碕浦・温泉津を入れることにより区別していることが判ります。


  尚、「此二島無人之地」「見高麗如自雲州望隠岐」は、松島竹島の現況を述べたに過ぎず、領土論を述べたとは考えられません。松江藩官僚が幕府の専管事項を論ずることはありえません。
  敢えて領土論とするならば、大谷村川両家以外の者が松島竹島に行かないのは、松島竹島まで徳川家の威光が行き届いているからである。そして、この威光は朝鮮にまで及んでいる。何故なら、朝鮮にこれほどまでに近い島であるにも関わらず、この40年間松島竹島で一人たりとも朝鮮人を見たことが無いからである。と。



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