2010年2月25日木曜日

X 韓国は古くから独島を認識していた




2 韓国が古くから竹島を認識していたという根拠はありません。

  2-1  韓国が古くから竹島を認識していたという根拠はありません。例えば、韓国側は、朝鮮の古文献『三国史記』(1145年)、『世宗実録地理誌』(1454年)や『新増東国輿地勝覧』(1531年)、『東国文献備考』(1770年)、『萬機要覧』(1808年)、『増補文献備考』(1908年)などの記述をもとに、「鬱陵島」と「于山島」という二つの島を古くから認知していたのであり、その「于山島」こそ、現在の竹島であると主張しています。

  2-2 しかし、『三国史記』には、于山国であった鬱陵島が512年に新羅に帰属したとの記述はありますが、「于山島」に関する記述はありません。また、朝鮮の他の古文献中にある「于山島」の記述には、その島には多数の人々が住み、大きな竹を産する等、竹島の実状に見合わないものがあり、むしろ、鬱陵島を想起させるものとなっています。

  2-3 また、韓国側は、『東国文献備考』、『増補文献備考』、『萬機要覧』に引用された『輿地志』(1656年)を根拠に、「于山島は日本のいう松島(現在の竹島)である」と主張しています。これに対し、『輿地志』の本来の記述は、于山島と鬱陵島は同一の島としており、『東国文献備考』等の記述は『輿地志』から直接、正しく引用されたものではないと批判する研究もあります。その研究は、『東国文献備考』等の記述は安龍福の信憑性の低い供述(5.参照)を無批判に取り入れた別の文献(『彊界考』(『彊界誌』)、1756年)を底本にしていると指摘しています。

  2-4 なお、『新増東国輿地勝覧』に添付された地図には、鬱陵島と「于山島」が別個の2つの島として記述されています。もし、韓国側が主張するように「于山島」が竹島を示すのであれば、この島は、鬱陵島の東方に、鬱陵島よりもはるかに小さな島として描かれるはずです。しかし、この地図における「于山島」は、鬱陵島とほぼ同じ大きさで描かれ、さらには朝鮮半島と鬱陵島の間(鬱陵島の西側)に位置している等、全く実在しない島であることがわかります。





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