2008年3月6日木曜日

国際法から竹島問題を検証②竹島問題の主な論点と判定される道筋

国際法から竹島問題を検証②竹島問題の主な論点と判定される道筋 傑作(5)

2008/7/30(水) 午後 2:23竹島問題歴史 Yahoo!ブックマークに登録

 竹島問題に関して日韓の主な対立点としては、以下の三つが挙げられます。

①両国は古くから竹島を自国の領土であると主張しているが、その主張する歴史的根拠の有効性。
②明治38年の日本政府による領土編入措置の効力について、領土取得の要件を満たしているか、無効かでの対立
③第2次大戦中のカイロ宣言からサンフランシスコ平和条約条約に至る一連の措置の意義と解釈

 国際法の見地からは、竹島は、日本の領土か、韓国のそれかであり、日韓両国の共同統治地域でもなく、第三国の領土でもなく、帰属未定の無主の地でもありません。そして、互いに、歴史的に竹島を領有してきたと主張していることは1953年に国際司法裁判所が判決したイギリス・フランス間のマンキエ・エクレオ事件(英仏間で争われたマンキエ島及びエクレオ島の領有権をめぐる国際紛争)に似ています。

 両国は、互いに古くから問題の島を領有してきたとして、11世紀に遡る時代の歴史的権原を援用して、その権原は常に維持され、決して喪失しなかったと主張していました。国際司法裁判所は、これらの島の領有権に係る紛争が顕在化する以前から、イギリスがこれらの島に実効的支配を及ぼしているので、両島の領有権はイギリスにあると判断しました。
 この判例の重要な点は、実効的占有を重視したことです。しかし、事実上の支配がその地域が当然その支配国の領土であることを意味するものでないことにも注意しなければなりません。たとえば、占領は、占領地域が当然その占領国の領土になることを意味するものでもありません。韓国の現在の不法占拠によって、竹島が直ちに韓国領になるわけではありません。
 しかし領土は、様々な要因で変更するので、過去に固有の権原をもっていたとしても、それが現在も当然その国の領土であるという証明にもならず、複合的で、総合的な判断が必要です。政府はもちろん、私たちも竹島問題への関心を失わせないことが重要です。

 そこで、両国の援用する歴史的な事実がどれほど国際法上の意義を持つか検討し、両国の主張のどちらが実効的占有の要件に合致しているかを検討して、判定することが適当と思われます。

 これを竹島問題に置きかえると、日本政府は1905年島根県告示をもって竹島を島根県隠岐島司所管とすることを決めており、その後竹島を土地台帳に記載し、漁業取締規則を改正して漁業権者から土地使用料を徴収するなど、上記判決を満たす程度の実効的支配を継続していたと考えられます。

 また韓国側は、1905年の島根県告示は国際法上無主地の先占行為ならば有効であるが、竹島は本来韓国領だったのだから無主地先占の理論は適用がないとも主張しています。しかし、韓国が1905年以前の竹島の領有権を主張するならば、それ以前における竹島への実効的支配を証明しなければならないところ、そのような事実は国際法のレベルでは全く実証されていません。

 領有権は「実効的支配」の有無が大きく影響します。実効的支配の証拠とは、法的根拠をもった、中央及び地方政府としての活動のみが認められます。

 すなわち「竹島を見た可能性がある」(=1693年、日本と朝鮮の間で鬱陵島の領有権が争われ際、朝鮮王朝は『東国輿地勝覧』の分註を、朝鮮半島から鬱陵島が見えるとして、鬱陵島の領有権主張する根拠に使い、ところが韓国政府は竹島問題が起こると、同じ文献を使って、今度は、鬱陵島から竹島が見えると曲解したのです。韓国らしいご都合主義です)、「于山国は竹島も含んでいた可能性がある」といったこじ付け的な間接的推は、実効的支配の証拠にはなりません。当然、安龍福の証言(妄言)も個人的発言なので認められません。仮に見えたのが竹島であったとしても、国際法上は最大限考慮しても「未成熟の権限」になるかどうかで、それを補強する証拠がさらに必要となります。過去の判例にもあるとおり、「未成熟の権限」は「実効支配」よりも劣る。つまり、今の主張だけでは日本の島根県編入を覆すことはできないということになります。

 日本には島根県編入措置を行い、国内法に基づいて島根県が土地台帳登録、使用許可命令、賃貸借許可が行われています。韓国側が、実効的支配の証拠及びその法的根拠を提示できない限り、日本の領土となります。
 なお、実効的支配を認めるには「平和的・継続的」であるかどうかですが、日本政府が領有権の抗議をしているので、現在の韓国による竹島占有は実効的支配の証拠とはなりません。



 

 

 

コメント(7)
>日本政府が領有権の抗議をしているので、現在の韓国による
>竹島占有は実効的支配の証拠とはなりません。

やった~★ 一応抗議してたのか 傑作
2008/7/31(木) 午前 8:25

↑ということは、北方領土にも言えることですね。一安心☆

傑作!
2008/8/1(金) 午後 10:09

旧日本軍が中国や朝鮮におこなった仕打ちを考えれば、日本人は何も言えないような気がする。
2008/8/3(日) 午前 9:09 [ nanking_atrocities ]

[ nanking_atrocities ]

大きい声を出して100回読め!

民衆を虐殺する支那軍・民衆を救出する日本軍
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12624238.html
支那の「極悪暴虐・大虐殺」と「卑怯な逆宣伝」のまとめ
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12704324.html
支那軍による虐殺
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/11717562.html

朝鮮の変遷・李氏朝鮮時代→日本統治時代→現在
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/21665810.html
李氏朝鮮時代→日本統治時代・日本が朝鮮半島に残した資産
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/25876198.html
2008/8/3(日) 午後 2:13

>①両国は古くから竹島を自国の領土であると主張しているが、その主張する歴史的根拠の有効性。

60年以上前、韓国は領有権を主張していないと思います。
しかも、韓国の主張する歴史的根拠の有効性は全くありません。

しかし、長期に及ぶ実効支配は、領有権認定の重要な根拠となります。
日本は急いで竹島を奪還する必要性に迫られています。
日本は具体的行動を起こすべきです。
傑作
2008/8/3(日) 午後 2:16

今のような政府のヌルイ態度では、それこそトンビが油揚げみたいに
「平和の島」なんて国連に召し上げられ、あの辺りに支那やロシアの
船がウジョウジョって事になりかねないでしょう。

きちんと「韓国が不法占拠」と大声を出さねばなりませんね
ポキッ
2008/8/4(月) 午後 2:51

韓国が武力による実効支配の国家実行の集積は、たとえ国際司法裁判所で係争になっても不利に働くでしょう。
2009/1/14(水) 午前 0:25 [ koushuubudou ]
コメント投稿

ニックネーム選択 tak*_*591

内緒 トラックバック(0) トラックバックされた記事 この記事にトラックバックする URLをクリップボードにコピー http://blogs.yahoo.co.jp/dune01220227/trackback/1492637/54273104 トラックバックされている記事がありません。
トラックバック先の記事トラックバック先の記事がありません。

この記事のURL: http://blogs.yahoo.co.jp/dune01220227/54273104.html

[ 前の記事へ ] [ 次の記事へ ]

竹島の認知からの歴史的事実

はじめにまず竹島の認知から現在にいたる間の同島の歴史的事実について、日本と朝鮮との関係を中心に簡単に考察していく。

1.竹島の歴史的事実

(1)竹島の認知については日本では1667年に松江藩士が著した「隠州視聴合紀」等の文献により「松島」の名によって知られていた。
(2)韓国側は朝鮮の「世宗実録地理志」「新増東国輿地勝覧」「成宗実録」等の古文献にある「于山島」「三峯島」が今日の竹島であると主張している。が、これらの島には多くの人が居住し、大竹その他の天産があると記されているところから、それらが今日の竹島に該当していないと言える面が強い。
(3)朝鮮王朝は15世紀以来、鬱陵島に対して空島政策をとり、事実上放棄した。そうした状況下で1618年から1696年にいたる78年間伯耆国米子商人は幕府の免許を得て竹島渡海事業を行った。
(4)1696年伯耆国に安龍福ら11人の朝鮮人が船に乗ってやってきた。韓国では、安龍福が鬱陵島に越境侵犯してきた日本人漁夫を追い出し、隠岐を経て伯耆州に行き、関白に鬱陵島と于山島が朝鮮領であることを確認させたという(安龍福事件)。ただ、安龍福が来日したのは1696年6月4日であるが、その年の1月28日に、幕府は竹島(鬱陵島)が朝鮮領であることを認めて、日本人の渡海を禁止し、鬱陵島をめぐる領土紛争は落着していた。安龍福の供述と日本側の関係史料では、事実関係で大きな相違がある。
(5)1905年1月28日に、日本政府は閣僚告示を発して竹島領有を確認し、2月22日付島根県告示第40号で竹島を日本領土に編入した。こうした領土編入における手続きは当時とられていた日本政府の慣行であった。
(6)第二次世界大戦後、日本は一時的に連合国に主権行使の制限を受けた。一方、日本の敗戦とともに、韓国は日本の植民地支配から解放された。まず連合国は1946年1月29日の「連合国最高司令部訓令第677号(SCAPIN677号)」で竹島に対する日本の行政上・政治上の管轄権を一時的に停止することを命じた。さらにSCAPIN1033号で「マッカーサーライン」を設定し竹島周辺海域を日本の管轄範囲外に置くことを決めた。ところが対日平和条約(1951年9月25日調印)において連合国は日本の支配から排除される地域を2条に定めたが、除外される地域として竹島には言及しなかった。
(7)1952年1月18日、韓国の李承晩大統領は突如「隣接海洋に対する主権」を宣言し、「李承晩ライン」を設定した。日本政府は1952年1月28日韓国政府に抗議したが韓国政府はSCAPIN677号を盾に領有権を主張した。
(8)翌1953年2月4日の第一大邦丸事件、7月12日の韓国官憲発砲事件が発生。1954年9月以来、韓国は独島の武装化を決行し、武力占拠している。そこで日本政府は1954年9月25日、竹島の領有権問題を国際司法裁判所に提訴しようと、韓国政府に提議したが、10月28日に拒否された。
(9)1965年に14年越しの日韓会談が妥結し、両国間の懸念は大方解決されたが、竹島の帰属問題だけは最後まで意見の一致が得られず、紛争を将来に持ち越した。

2.竹島紛争の争点

日韓両国の間に竹島についての割譲条約や国境境界条約などの国際条約は存在しないという事実と以上の歴史の流れを踏まえ、竹島の帰属をめぐる紛争を国際法の見地から見ると、争点は3つに絞られる。
第一は両国の主張する歴史的根拠の有効性、第二は1905年の日本政府による領土編入措置の効力、第三は第二次世界大戦中のカイロ宣言から対日平和条約に及ぶ一連の措置の意義である。

これらについて検討する前に、本事件の先例を探してみると、まったく同じではないが1953年の国際司法裁判所のマンキエ・エクレオ判決(☆1)がある。どちらの事例でも関係当事国は互いに古くから問題の島を領有してきたと主張している。マンキエ・エクレオ判決から分かるように、本件解決の決め手となるのは、信憑性が疑われる歴史的事実に基づく根拠ではなく、実効的占有の有無である。また1933年の東部グリーンランド事件(☆2)をみると「主権者として行動する意志・意図」「国家権力のある程度の現実の行使または発現」が領域主権の存在の要件であるとした。

そこでこれから1905年の日本領土編入の有効性と第二次世界大戦後の措置の意義について述べていく。

1905年の日本政府による竹島編入の有効性

1905年、閣議決定およびそれに続く島根県告示により、日本政府は近代国家として竹島を領有する意思を再確認。韓国は竹島におけるアシカ漁を取り締まらず、放置、また日本に抗議する事もない。
その後、日本は実効的な支配を第二次大戦の終結まで継続しているため、国際法の要求する諸要件は完全に充足されているとみる。

●韓国側の意見:
① この措置は、無主地に対する先占の行為にほかならないが、竹島は無主地ではなく歴史的・地理的に韓国領土であった鬱陵島と不可分の関係を維持してきた属島である。であるから、この日本の一方的国内措置は国際法上なんの効果も生じ得ない。
② 逆にこの措置は、日本が竹島をその領土の一部とみなしていなかった事を証明するものである。日本が竹島に対し領土主権を有していたとすれば、この時期に竹島を自国領土に編入する措置をとる必要がなかったのではないか。
③ 日本の領有意思は地方庁によりきわめて秘密裡になされ、韓国政府に通告がなかったことは(どの国においても閣議決定は"極秘"でない限り、<官報>に掲載し、国民と世界に知らせるもの。日本政府もそうしてきたが、この領土編入のみ、それを避け、島根県の県庁で公示しただけであった。この行為は、知られまいとする、"こっそり盗み取ったようなもの"で無効である)国際的効力を生じえなかった。
④ 朝鮮政府は、当時日鮮協定により、また日本政府の外国人顧問を通じて日本政府の完全なコントロールの下にあったから、抗議するすべがなかった。

●日本の見解

①② 日本の措置が無効であると主張するためには、韓国がみずから竹島を実効的に支配していた事実を証明しなければならない。それは、1905年以前に日本の当時存在していたものよりもいっそう強い権原を竹島に対して持っていた事の証明であり、これだけが有効な反論を構成しえるのではないか。つまり韓国が竹島に対しなんらかの権原を有していたと仮定しても、それが竹島の日本領土編入以前に実効的占有に基づく権原に代替されたことの立証が必要になるのである。①②は"その証明がなされない限りは日本の主権の下に有効かつ確定的に置かれた事を動かす事が出来ない、目的を欠く無意味な議論であるにすぎない。"とされる。また②については、これにより明治政府は竹島を島根県に編入し、国際法的にも日本の領土にしたという反論もできるのではないか。

③ 通告は国際法上、領土編入の要件とはされていない。この措置は、近代国際法によって要求される領土取得の要件を満たしたものである。
④ 実際に抗議しようとして、それを日本の責めにあい、阻止された事実が記録されているかが問題となるのであり、仮説的にこの事情がなかったならば抗議しえた、という主張は問題にならない。
マンキエ・エクレオ事件から:1905年以前における韓国政府の実効的支配はほとんど皆無の状態であるため、日本の優位は動かないものと思われる。


次に第三の争点である、日本の敗戦後における竹島の扱いについて、考えてみたいと思う。まず、日本は、第二次世界大戦に敗北し、一時的に連合国によって占領され、主権行使において、一定の制限を受けることとなった。日本の敗戦によって、韓国は日本による植民地支配から開放された。ここで、竹島に関する連合国の措置について見ていくと、まず、1946年1月29日に出された「連合国最高司令部訓令第667号(正式名称:若干の外郭地域を政治上・行政上、日本から分離することに関する覚書)」を検討しなければいけないだろう。この覚書の項目3に、日本は北海道、本州、九州そして四国の4つの主な島と、その他の1000の島を含むことと規定されている。その他の島には対馬、琉球島(口之島は除く)が含まれる。そして、除かれる地域として、鬱陵島、リアンクール岩礁(竹島)クウェルパート島(済州島)・・・などが規定されている。これを見ると、戦後、GHQによって日本の竹島に対する政治上・行政上の権限が制限されることとなったのは確かだろう。また、連合国は、6月22日に、いわゆる「マッカーサーライン(正式名称:日本漁業および捕鯨業に認可された区域に関する覚書)」を出した。これによって日本の漁業管轄範囲に関しても、項目3の(b)にあるように、「日本の船は、竹島(東経131度53分、北緯37度15分)から12海里以内には近づいてはいけない・・・」との規定がなされ、竹島周辺の海域が日本の管轄範囲外に置かれることとなった。しかし、ここで2つのGHQ覚書を見てみると、それぞれに、次のような項目がある。それは、「この覚書は、ポツダム宣言の8条に言及されている小さな島についての、連合国による領土の最終決定に関する政策を示すものと解釈してはならない」そして、「この認可は関係地域またはその他のどの地域に関しても、日本の管轄権、国境境界線または漁業権についての最終決定に関する連合国側の政策の表明ではない」という項目である。これについては、さまざまな見解があるが、この規定に関しては、次のように考える。このGHQ覚書は、先ほど述べた項目にあるように、日本の領土に関する、文字通り、最終的な決定ではなく、連合国が日本に対して行う占領時の行政における一時的な措置に過ぎない。日本の主権を一時的に制限するためのとりあえずの措置でしかないと考える。
 この戦争によって引き起こされたさまざまな問題、そして領土の最終的処理が行われた日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)では、第2章 領域 の項目で、日本の領土についての規定がなされている。第二条には、「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」とかかれている。ここには、先ほど述べたGHQ覚書には記載されていた「竹島」の記述がなくなっている。そして新たに巨文島という文言が付されている。この講和条約の内容から考えてみると、GHQ覚書は、日本の竹島に対する管轄権を停止する内容ではあったが、先ほど述べたとおりに、これらの覚書は、「連合国による日本領土、漁業権に関する最終決定を示したものではない」のだから、これは一時的なものに過ぎず、最終的な決定は「日本国との平和条約」によってなされていると解することができるだろう。そして、その最終決定である講和条約には、「済州島、巨文島及び鬱陵島を含む・・・」という風に明らかに除外されているところを見れば、一時的には竹島を領土から除外して、主権を一定の制限下に置いていたが、日本が主権を回復することによって、その制限を解いたということなのではないだろうか。強調しておく部分としては、領土問題に限らず、一般的に戦争によって引き起こされた事態を最終的に処理するのは、平和条約によってであり、そこに述べられている内容に含まれていないことにまで敗戦国といえども拘束されることはないということである。

以上のように見てみると1905年以来、竹島は日本の領土である。

.

2008年2月2日土曜日

竹島問題を国際司法裁判所に持ち込んでも負けるかもしれない

http://d.hatena.ne.jp/hagakurekakugo/20080525/p2

■竹島問題を国際司法裁判所に持ち込んでも負けるかもしれない
■マレーシアとシンガポールの領有権問題の判決文

このエントリの続きです。



結局判決文を訳して読んでみたものの、長いし、英語だし、主語が分かんなくなったりするし、で今の所殆ど解読出来ていない。

って事でAEP通信の記事を引っ張ってきた。

マレー半島の小島、領有権はシンガポールに 28年間の論争に終止符

 ペドラ・ブランカ島の領有権はそもそもマレーシア側が主張していた。しかし、シンガポール側は130年前から同島のホースバー灯台(Horsburgh Lighthouse)を管理しており、それに対してマレーシアは何の申し立てもしていなかったことから、暗黙のうちに領有権がシンガポールに移転していたと反論していた。

 ICJのAwn Shawkat Al-Khasawneh裁判官は「当法廷は12対4で、1980年までにペドラ・ブランカ島の領有権はシンガポールに移転されていたとみなし、同国に帰属すると判断するに至った」と述べた。

結論から言うと、シンガポールの主張=実効支配の実績が認められた判決と言えるだろう。これは竹島を実効支配されている日本には不利な判決と言えるのではないだろうか。



そんでもって以前にこんな判決があったらしい。

国際司法裁判所は歴史より実行支配を重視

同裁判所の今回の判断には、過去に持ち込まれた他のケース同様、誰の目にも明らかな条約に基づかない限り、「発見」や「歴史」に由来する主権の主張を退けて、「長期に亘る」継続的な実行支配や統治、管理の証拠の積み上げを重視している。



2004年4月14日に行われた史久?国際司法裁判所所長の講演も合わせて読むと、どうもこの流れだと日本と韓国が竹島問題を国際司法裁判所に持ち込んだ場合は、日本が負けそうな気配がプンプンしてくる。

http://www.unu.edu/hq/Japanese/use/event/2004/14april04speech.pdf

It concluded, on the basis of "effectivites" (activities evidencing an actual, continued exercise of State authority over the islands), that sovereignty over the islands Ligitan and Sipadan belonged to Malaysia.

This last case constitutes a landmark in the relationship between Asian countries and the Court as it was the first case between Asian countries introduced before the Court by Special Agreement.

Following this successful precedent, Malaysia and Singapore jointly notified the Court of a Special Agreement for submission of a dispute between them concerning Sovereignty over Pedra Branca/Pulau Batu Puteh, Middle Rocks and South Ledge in July of last year.

この判決は竹島問題に関心がある人間なら必ずフォローしてるだろうから、もっと法律に明るい人の見解を聞きたい。私ではこれが限界。



とりあえず、yahoo!掲示板で竹島問題を論争されていた田中邦貴氏と半月城氏にメールを送っておいた。



【追記】

yahoo!掲示板にて法律に明るそうな方がいらっしゃいましたので、書き込みを転載します。日本よりの意見ですので、それを念頭において読まれてください。

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835396&sid=1835396&tid=cddeg&mid=1

16631 投稿者:henchin_pokoider01 投稿日時:2008/ 5/24 16:43

国際司法裁判所の新しい判決

シンガポールとマレーシアの間で争われていたPedra Branca/Pulau Batu Puteh, Middle Rocks and South Ledgeについて国際司法裁判所の判決がでました。

http://www.icj-cij.org/docket/files/130/14490.pdf

http://www.icj-cij.org/docket/files/130/14492.pdf

要約すると以下のような感じです。(間違いがあればご指摘を)

<主張>

マレーシアはジョホール国以前から続く原始的権原と権原の継続。シンガポールは18世紀中盤において無主地だと主張しているが、マレーシアは英国が灯台建設のために合法的取得をしたと主張。

<判決>

シンガポール海峡にある全ての島は、原則としてジョホール王国の領域としていた。しかし、ジョホールによるいかなる権力行使もなされておらず、平和的・継続的な実効支配による実効支配を満たすとは判断できない。このため、裁判所は原始的権原をジョホールが保有していたと認める。

次ぎに、1824年から1840年代にこの権原が有効であったかを検証する。1824年3月にイギリスとオランダは植民地の境界画定条約を締結し、ジョホール王国はイギリスの管轄範囲となりラーマン王国、フセイン王国はオランダの支配下となった。フセインは、1824年4月にシンガポールから10マイルにある海峡や島をイギリスの東インド会社に割譲した。最終的に1825年7月の手紙の中で、ラーマンは既にイギリスの支配下にあった領土を彼の兄に寄贈した。それ故、古ジョホール王国の領域が再確認できた。裁判所は、これらのことが原始的権原に変化を及ぼさなかったことを認める。

次ぎに、裁判所は1840年以降にマレーシアの主権が維持されたのか検証する。維持のためには、当事者による管理に関する事実の検証が必要とされる。裁判所は1852年から1952に渡る活動と共に、灯台設置場所選定と建設に関する出来事を調査した。裁判所は1953年6月にシンガポールの植民地長官が、ジョホールの英国外交顧問に書いた手紙に注意を払った。その手紙において、植民地の領海の境界画定の文脈でブランカ/プテ島に関する情報を要求していた。1953年9月の返信においてジョホールの臨時国務長官は「ジョホール政府はその島の所有権に関する請求権をもたない」とした。裁判所はこの返信により1953年においてジョホールが島の主権を有しないことを認める。

最終的に、裁判所は1953年以降の両国の同島に関する活動を検証する。シンガポールには同島の領海内にある難破船の調査を行ったこと及び抗議もなくマレーシアの職員による同島周辺海域での調査をシンガポールが承認及び拒否したという明確な活動を実効支配の権原?として認める。他にもいくつかの具体的な出版物や地図と共に、同島にはためくシンガポール国旗へのマレーシアの無反応、1977年のシンガポールの軍事通信施設の導入、シンガポールによる再開発について、裁判所はシンガポールの主張を支持するものとして考慮する。



16632 投稿者:henchin_pokoider01 投稿日時:2008/ 5/24 16:54

16631 Pedra Branca等のICJ判決からみる竹島

注目すべきは、以下の点でしょうか。まぁ改めて日本の権原の正当性と共に韓国の主張する権原の不法性が確認できたというところしょう。

・軍事施設の設置も実効支配の証拠として認めている。

 →1905年日本軍による竹島の仮設望楼の建設も実効支配として認められる。

・交換文書によりマレーシア(ジョホール)の原始的権原の委棄を認めるが、

 シンガポールの権原成立とはせず、それ以降の実効支配に基づくものとした。

 →『日本海内竹島他一島地籍編纂方伺』の外一島が竹島だったと仮定しても、

  韓国の権原を証明するには、実効支配の証拠が必要(韓国の権原が成立していない。)

・外交顧問や長官間の書簡を有効としている。

 →ラスク書簡、ラスク書簡を追認し再通告した米大使館の書簡は有効。



16633 投稿者:henchin_pokoider01 投稿日時:2008/ 5/24 18:04

16632 Pedra Branca等のICJ判決からみる竹島2

更に竹島に参考となる点を見つけました。

・シンガポールはこの通信設備設置が、公開の元に実施されたと主張。(Singapore says that the installation was carried out openly・・・・)

・マレーシアは、通信設備設置が灯台の本来の目的ではなく軍事目的であること、秘密裏に行われたと抗弁。("has raised serious concerns about Singapore's use of Horsburgh Lighthouse for non-light (and especially military) purposes"・・・, "the installation was undertaken secretly and that it became aware of it only on receipt of Singapore’s Memorial.・・・”

判決では、設置に関するマレーシアの知識の有無はどうでもいい感じ。重要なのはシンガポールの主権者としての活動としている。通信施設設置は、シンガポールが活動に関して何らかの制限を受けていたとする認識とは相反するとした(=何の制限も受けてない)。

The Court is not able to assess the strength of the assertions made on the two sides about Malaysia's knowledge of the installation. What is significant for the Court is that Singapore’s action is an act 醇A titre de souverain. The conduct is inconsistent with Singapore recognizing any limit on its freedom of action.

竹島にあてはめてみれば、何ら制約をうけずに自由に竹島に望楼を建設し、通信施設を設置し、監視活動をしていた日本海軍の活動は、「act 醇A titre de souverain」として認められるということですね。

個人的には過去の日本の実効支配を持ち出しているけれども、現在の韓国の実効支配については考察を避けているように見えます。ですが、一方的に韓国の主張が認められるという事態にはならなそうです。



【追記】

何故上の人が韓国の実効支配に触れなかったのか。そもそも実効支配はどこからも抗議がない場合に認められるそうだ。つまり現在の韓国の実効支配は厳密には実効支配ではない。日本の場合はどうか。1905年に編入した際にはどこからも抗議が無かったように思える。だが、その場合韓国が抗議出来るような政治状況だったのかが問題になるのではないだろうか。抗議したくとも出来ない状況であった、との韓国の主張が認められれば、日本の実効支配も認められなくなる可能性があるのではないだろうか。その場合、歴史よりも実効支配(法的ではなく管理的な意味合い)を重んじるとすると、結局の所、引き分けで共同管理という判決になるかもしれない。

以上、法律のド素人の戯言でした。

Permalink | コメント(19) | トラックバック(0)


コメント一覧
yingze 2008/05/27 18:49
追記部分、全く問題にならないです。
1905年2月の竹島に関する公布(新聞等でも行っている)に大韓帝国一切抗議していない。
しかし、1905年8月の日英同盟条約の条文について大韓帝国は大日本帝国に対して抗議を行っています。
なので、抗議できる政治状況であったのに抗議しなかったのです。

と言うことを韓国人に指摘すると、歴史的経緯云々という話になります。
日本外務省のHP上にあるような資料を示したり、韓国側資料の捏造箇所を具体的にしていきます。

すると、「日本人が何を言おうと独島はわれわれが実効支配している」、とスタートに戻ります。


hagakurekakugo 2008/05/27 19:46
yingzeさん、どもです。
>1905年2月の竹島に関する公布(新聞等でも行っている)に大韓帝国一切抗議していない。
>しかし、1905年8月の日英同盟条約の条文について大韓帝国は大日本帝国に対して抗議を行っています。
外交権を奪われた状態で看過できる問題と看過出来ない問題があった、と主張するかもしれません。
同様の領土問題の判例を見ていても相当長い年数抗議しなかった場合に「平和的に」接収されたと見なすそうです。
一年も余裕がなかった韓国の場合は、かなり特殊な事例と言えるかもしれません。
どうも似たようなケースが存在せず、どうなるのか正直言って良く分かりません。


poppo-x 2008/05/28 05:02
こんにちは、お久しぶりです。
歴史的な領有の主張と言う意味では、タイムリーな記事が出ましたので、ご紹介したいと思います。

http://d.hatena.ne.jp/dotcom-sengo/20080527
・[竹島・独島]江戸幕府が「独島=朝鮮領」地図を利用、世宗大教授【2008.05.02】(WoW!Korea)CommentsAdd Star
http://www.wowkorea.jp/news/Korea/200


yamaki622 2008/05/28 23:19
>竹島問題を国際司法裁判所に持ち込んでも負けるかもしれない

参考になるかどうかわかりませんが…
日本政府が、韓国側に国際司法裁判所への提訴・付託を提案したのは、過去(1954年9月と1962年3月)の2回のみです。それ以降の約半世紀の間、日本政府は何の動きも見せていませんので、現在の日本政府に国際法廷で争う意志はないと思います。それから1965年に締結された「日韓条約」によって両国間の紛争は外交努力や調停で解決することに決められています。もしもこのプロセスを無視して国際法廷に持ち込もうとすれば、「日韓条約」に抵触する恐れがあります。

日韓基本条約の関係諸協定,日韓紛争解決交換公文(紛争の解決に関する交換公文)
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPKR/19650622.TPJ.html

「両国政府は,別段の合意がある場合を除くほか,両国間の紛争は,まず,外交上の経路を通じて解決するものとし,これにより解決することができなかつた場合は,両国政府が合意する手続に従い,調停によつて解決を図るものとする。」

韓国側は過去に一度、日本政府に対して第三国による調停を提案したことがあります。↓

「この間、竹島問題は国交正常化問題とは別に扱われたが、日本側は「竹島問題の解決なくして国交正常化はありえない」という立場であった。(62年4月27日の衆議院外務委員会における小坂外相の答弁)一方、韓国側の立場は、独島問題は国交正常化後に話し合おうというものであった(62年11月13日の金鍾泌の記者会見のおける発言)。同年11月12日の大平外相・金鍾泌中央情報部部長会談では、大平が国際司法裁判所への提訴を提案したのに対して、金が第三国の調停に委ねること提案して対立した。また、同年12月に韓国を訪問した自民党の大野副総裁が金鍾泌会って、竹島の共同所有を打診したが、まとまらなかった。
(高橋宗司『検証 日韓会談』p150より)

国際法廷で争うことだけが、平和的解決ではないというのが私の意見です。


yamaki622 2008/05/29 13:52
yingzeさんへ

>1905年2月の竹島に関する公布(新聞等でも行っている)に大韓帝国一切抗議していない。

竹島(=独島)の編入は、日本政府内で秘密裏に処理されています。
日本政府による竹島(=独島)の編入は1905年1月28日に閣議決定しましたが、官報による告知もなく、政府の訓令を受けた島根県が1905年2月22日に県告示で公表したにとどまっています。しかもその内容というのが、島の位置のみを示して「竹島と称し、自今本県所属隠岐島司の所管と定めらる」というように、旧島名の記述もなければ、「領土編入」という言葉すらないものです。

それと比べ小笠原諸島の編入は、日本政府は関係国であるアメリカと何度も協議を重ね、相手国の同意を得て領土編入を行なっています。しかし、竹島(=独島)の編入は関係国である韓国との協議はおろか、政府レベルでの公示すら一切ありません。

編入は県レベルでなく政府レベルで公知されなければ、韓国はその事実を知るのは困難であるし、抗議のしようがありません。また、新聞で報道されたと言っても、県告示から3ヶ月以上たった5月30日東京朝日新聞が「竹島」の名前を用いずに、外国名の「リアンコルド」岩という名前で報じているだけです。結局、韓国が編入の事実を偶然知ったのは1年後の1906年ですが、その時は外交権を剥奪された第2次日韓協約以降です。したがって、その時点で日本に対する抗議は不可能だったのです。

ですから、「抗議できる政治状況であったのに抗議しなかった」という理屈は、相当に無理があります。


nannyanenn 2008/06/03 11:33
ご紹介頂いたhenchin_pokoider01氏の結論は無理でしょう。
判決文はシンガポールの行為を現在完了形で認定しているのですから、過去の行為にまで拡大解釈するのは飛躍しすぎですね。


cb922c 2008/07/11 14:31
そもそも旧大韓帝國が竹島を1905年以前に実効支配していたという明確な証拠は存在しないので。
韓国の行為は不法占拠になりますね。
http://ameblo.jp/nidanosuke/entry-10109934218.html


なまえ 2008/07/16 00:42
事実認定が有利だと思うから国際司法裁判所に持ち込むという考え方そのものが
そもそも道理にかなわないと思いますが。
それが国際社会のルールと思うなら、正しい道だと思うなら、なおさら。
むしろ早い段階で白黒はっきりすることがくだらない不幸を回避する
絶対的に必要な手段だと思いますが。
たとえ負ける可能性があっても。


nannyanenn 2008/07/30 13:11
yamaki622さんへ

>編入は県レベルでなく政府レベルで公知されなければ、韓国はその事実を知るのは困難であるし、抗議のしようがありません。また、新聞で報道されたと言っても、県告示から3ヶ月以上たった5月30日東京朝日新聞が「竹島」の名前を用いずに、外国名の「リアンコルド」岩という名前で報じているだけです。結局、韓国が編入の事実を偶然知ったのは1年後の1906年ですが、その時は外交権を剥奪された第2次日韓協約以降です。したがって、その時点で日本に対する抗議は不可能だったのです。

その通りだと思います。
クリッパートン島事件の判例では「フランスは、ハワイ政府にたいし、同海軍大尉の任務の終了を通告した。ホノルルの新聞は、クリッパートンにたいするフランス主権はすでに公布されている。という宣言文が公表された。」ことが決定打になり、フランスの主権が認められましたので、政府レベルで公知されなければ意味がありません。


T.K 2008/08/14 07:23
この判決はマレーシアがシンガポールに公式に抗議した1980年以前の実効支配について判決を下したものです。
国際司法裁判所は1980年から国際司法裁判所に付託されるまでの期間はシンガポールが実効支配していたとは認めていません。
また、韓国政府が国会での野党議員の竹島問題に関する質問に対して、毎年3月に竹島の領有について日本の外務省から抗議文が届いていると答えていることから、国際司法裁判所では竹島を韓国が実効支配しているとは判断しないことでしょう。


みたか 2008/08/16 09:15
nannyanennさんへ

>その通りだと思います。
クリッパートン島事件の判例では「フランスは、ハワイ政府にたいし、同海軍大尉の任務の終了を通告した。ホノルルの新聞は、クリッパートンにたいするフランス主権はすでに公布されている。という宣言文が公表された。」ことが決定打になり、フランスの主権が認められましたので、政府レベルで公知されなければ意味がありません。

この理解はほぼ完全に間違いです。
外国への通告は先占の要件ではないというのが通説です。つまり、通告そのものが不要ということです。このことはクリッパートン島事件でも確認されています。
クリッパートン島事件では、先占について何らかの公示性があればいいと言っているだけです。竹島編入は県報告示されていますし、一般紙でも報道されていますから公示性が無かったわけではありません。
また、現実の占有も先占を公示する手段の一つです(こんなことは法律を少しでも囓ったことのある人はすぐ判ります)。日本は1905年7月から海軍が望楼建設を開始していますから、平穏かつ公然と占有(これ自体が先占の公示に他ならない。)していたことは明らかです。
要するに、気がつかなかった韓国に過失があるということです。
なお、クリパートン島事件には一般性は無いといわれています。判例としては、パルマス島事件やマンキエ・エクレオ事件のほうが遙かに重要ということです。


yamaki622 2008/08/17 00:06
みたかさん

私は外国への通知が先占の要件か否かなどという話はしていません。yingzeさんが、日本は十分に知らせていたのに韓国は抗議しなかったと仰るので、編入は県レベルでなく政府レベルで公知されなければ、韓国はその事実を知るのは困難であるし、抗議のしようがないということを答えているだけです。論点をすり替えるのは、やめていただくようお願いします。しかも「外国への通知が先占の要件」でないのは、無主地(所有者が存在しない)の場合のみであり、編入以前から韓国領であれば、日本による編入は国際法違反となります。編入以前から韓国領だったかどうかが争点となっているのですから、「通告そのものが不要」と強弁するのはどうでしょうか。

>要するに、気がつかなかった韓国に過失があるということです。

旧島名の記述もなければ「領土編入」という言葉すらない、県レベルの告知で「過失」とまで言えるかどうかは、甚だ疑問ですね。それからもし国際司法裁判所で争ったとしても、判決に法的拘束力はあるのでしょうか?なければここで議論されていることは机上の空論だと思います。


みたか 2008/08/24 06:25
yamagi622さん

>日本による編入は国際法違反となります。編入以前から韓国領だったかどうかが争点となっているのですから、「通告そのものが不要」と強弁するのはどうでしょうか。

この部分はクリッパートン島事件でのメキシコの主張と全く同じです。
クリッパートン島事件では、メキシコはフランスの領有宣言以前から該島はメキシコ領であり、かつ列強に通告が無かったから無効だと主張しました。しかし、メキシコが実効支配を及ぼした証拠は無く、通告の必要性も無いということでメキシコの主張は一蹴されています。
結局のところ「通告は必要ない」ということです。

>旧島名の記述もなければ「領土編入」という言葉すらない、県レベルの告知で「過失」とまで言えるかどうかは、甚だ疑問ですね。それからもし国際司法裁判所で争ったとしても、判決に法的拘束力はあるのでしょうか?なければここで議論されていることは机上の空論だと思います。

「旧島名の記述もなければ「領土編入」という言葉すらない」ことの何が問題なんでしょうか。
それから、県の告示だから良いとか悪いという問題ではないのです。クリッパートン島では、フランスは先占の証拠を何も残していませんが、竹島に対しては日本は1905年7月から仮望楼の建設を開始しています。クリッパートン島がフランス領となったことは島に渡っても認知しえなかったでしょう。しかし、竹島が日本領になったことは島に渡れば容易に認知し得たのは明らかです。また、クリッパートン島に渡航するのは容易ではありませんが、竹島に渡るのは容易です。現に、隠岐や鬱陵島から多数の漁民が渡っていました。

「それからもし国際司法裁判所で争ったとしても、判決に法的拘束力はあるのでしょうか?なければここで議論されていることは机上の空論だと思います。」とは、どういうつもりで書かれたのでしょうか。韓国による侵略を見過ごすべきだとでも主張するのでしょうか。

総じて言えば、韓国の主張は国際法・判例を踏まえていないし、論理に飛躍が多すぎるし、滅茶苦茶です。


みたか 2008/08/24 07:36
ちょっと横からレス付けさせてもらいます。

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------
yingzeさんへ

>>1905年2月の竹島に関する公布(新聞等でも行っている)に大韓帝国一切抗議していない。

>竹島(=独島)の編入は、日本政府内で秘密裏に処理されています。
日本政府による竹島(=独島)の編入は1905年1月28日に閣議決定しましたが、官報による告知もなく、政府の訓令を受けた島根県が1905年2月22日に県告示で公表したにとどまっています。しかもその内容というのが、島の位置のみを示して「竹島と称し、自今本県所属隠岐島司の所管と定めらる」というように、旧島名の記述もなければ、「領土編入」という言葉すらないものです。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------

県報告示したものが「秘密裏」なわけないでしょう。こういうのを印象操作といいますね。
韓国が知ることが難しかったとしても、だからと言って日本の領土編入が無効になるわけではありません。

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------
>それと比べ小笠原諸島の編入は、日本政府は関係国であるアメリカと何度も協議を重ね、相手国の同意を得て領土編入を行なっています。しかし、竹島(=独島)の編入は関係国である韓国との協議はおろか、政府レベルでの公示すら一切ありません。
--------------------------------------------------------------------------------------------------------------

南鳥島は、米国船が発見したことは明らかでしたが、日本は米国と協議することなく編入しています。
また、編入の告示も東京府告示で済ませています。
日本の領有後、米国も該島を領有しようとしました。これは一私人に占領の許可を与えるという形式でしたが、勿論どこの国にも通告されていません。
なお、このときは交渉の結果、米国があっさり引き下がっています。

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------

>編入は県レベルでなく政府レベルで公知されなければ、韓国はその事実を知るのは困難であるし、抗議のしようがありません。また、新聞で報道されたと言っても、県告示から3ヶ月以上たった5月30日東京朝日新聞が「竹島」の名前を用いずに、外国名の「リアンコルド」岩という名前で報じているだけです。結局、韓国が編入の事実を偶然知ったのは1年後の1906年ですが、その時は外交権を剥奪された第2次日韓協約以降です。したがって、その時点で日本に対する抗議は不可能だったのです。

ですから、「抗議できる政治状況であったのに抗議しなかった」という理屈は、相当に無理があります。

--------------------------------------------------------------------------------------------------------------

いいえ。1905年6月5日には官報で「日本海海戦続報中のリアンコールト岩を竹島に訂正」していますし、その後は戦報では竹島の名称を使っています。
日本が竹島を領有したことは、第二次日韓協約以前であっても韓国は容易に知り得たでしょう。

それから、「韓国が編入の事実を偶然知ったのは1年後の1906年ですが、その時は外交権を剥奪された第2次日韓協約以降です。したがって、その時点で日本に対する抗議は不可能だったのです。」という主張ですが、「外交権を剥奪された」から抗議は不可能だった」という意味でしょうか。
第二次日韓協約の条文は次のとおりです。

日本國政府及韓國政府ハ兩帝國ヲ結合スル利害共通ノ主義ヲ鞏固ナラシメムコトヲ欲シ韓國ノ富強ノ實ヲ認ムル時ニ至ル迄此目的ヲ以テ左ノ條款ヲ約定セリ
第一條 日本國政府ハ在東京外務省ニ由リ今後韓國ノ外國ニ對スル關係及事務ヲ監理指揮スへク日本國ノ外交代表者及領事ハ外國ニ於ケル韓國ノ臣民及利益ヲ保護スへシ
第二條 日本國政府ハ韓國ト他國トノ間ニ現存スル條約ノ實行ヲ全フスルノ任ニ當リ韓國政府ハ今後日本國政府ノ仲介ニ由ラスシテ國際的性質ヲ有スル何等ノ條約若ハ約束ヲナササルコトヲ約ス
第三條 日本國政府ハ其代表者トシテ韓國皇帝陛下ノ闕下ニ一名ノ統監(レヂデントゼネラル)ヲ置ク統監ハ專ラ外交ニ關スル事項ヲ管理スル爲京城ニ駐在シ親シク韓國皇帝陛下ニ内謁スルノ權利ヲ有ス日本國政府ハ又韓國ノ各開港場及其他日本國政府ノ必要ト認ムル地ニ理事官(レヂデント)ヲ置クノ權利ヲ有ス理事官ハ統監ノ指揮ノ下ニ從來在韓國日本領事ニ屬シタル一切ノ職權ヲ執行シ並ニ本協約ノ條款ヲ完全ニ實行スル爲必要トスヘキ一切ノ事務ヲ掌理スへシ
第四條 日本國ト韓國トノ間ニ現存スル條約及約束ハ本協約ノ條款ニ抵觸セサル限總テ其效力ヲ繼續スルモノトス
第五條 日本國政府ハ韓國皇室ノ安寧ト尊嚴ヲ維持スルコトヲ保証ス
右証據トシテ下名ハ本國政府ヲリ相當ノ委任ヲ受ケ本協約ニ記名調印スルモノナリ
明治三十八年十一月十七日 特命全權公使 林權助
光武九年十一月十七日 外部大臣 朴齊純

抗議出来なかったと主張するのでしたら、第二次日韓協約のどの部分が抗議を禁止した部分なのか指摘して下さい。


nannyanenn 2008/09/02 15:34
みたかさん

>外国への通告は先占の要件ではないというのが通説です。つまり、通告そのものが不要ということです。

私の投稿をよくお読み下さい。どこに「通告」と書きましたか。
クリッパートン島の判例では、諸外国に対する、つまり外部に対する公示が決定打になったのは事実です。決して「何らかの公示性」などと矮小化できる問題ではありません。

>日本は1905年7月から海軍が望楼建設を開始していますから、平穏かつ公然と占有(これ自体が先占の公示に他ならない。)していたことは明らかです。

史実は正確に引用してくださいね。わずか数ヶ月間の仮設望楼を設置した事実はありますが、年内に撤去しています。
あなたの書き方だと、平穏かつ公然と占有し続けたかのように捉えられる虞があるので、感心しませんね。


nannyanenn 2008/09/02 16:28
仮設望楼の設置については、幾つか疑問点があります。
まず第一に、日韓議定書に基づき、日本政府には「軍略上必要の地点を臨検収用することができる」と云う臨検収容権があったこと。
第二に、同様の仮設望楼は、欝陵島にも設置されており、決して竹島に特有のものではなかったこと。
第三に、数ヶ月で撤去されたため、恒久的な構築物とは云えないこと。
このように、ペドラ・ブランカ島の判例で実効支配として認められた灯台と同一視は出来ないでしょう。


Lesbiche 2009/01/26 18:07
Nice site you have!


henchin_pokoider 2009/11/08 11:42
nannyanennさん。
>決して「何らかの公示性」などと矮小化できる問題ではありません。
クリッパートンのように遠く離れたハワイでの新聞掲載ではなく、日本は現地での実効支配をしておりますので、公示性という意味でもより確実なものとなっています。ペドラ・ブランカで判示されているように主権者として自由な活動を実施していれば事足りるのです(The Court is not able to assess the strength of the assertions made on the two sides about Malaysia's knowledge of the installation. What is significant for the Court is that Singapore’s action is an act 醇A titre de souverain. The conduct is inconsistent with Singapore recognizing any limit on its freedom of action.)

>平穏かつ公然と占有し続けたかのように捉えられる虞がある。
現地において日本が実効支配を発現させたのは「わずか数ヶ月」の話ではないです。1903年くらいから中井が竹島に仮小屋を設置しアシカ猟をしております。個人的な漁は実効支配として認められませんが、公的なライセンスがある場合には実効支配となります。(ICJのPULAU LIGITAN AND PULAU SIPADANの判例を参照のこと)1905年の日本による竹島編入後、島根県は中井等日本人4名に竹島でのアシカ猟の漁業許可を行っており、これ以降の漁業活動は実効支配として認められます。

>臨検収容権
臨検収容権に基づくものであった証明が必要となりますね。

>第二に、同様の仮設望楼は、欝陵島にも設置されており、決して竹島に特有のものではなかったこと。
問題は竹島の望楼なので、鬱稜島の望楼は関係ありません。

>第三に、数ヶ月で撤去されたため、恒久的な構築物とは云えないこと。
恒久性は問われてません。東グリーンランドで判示されているように、他国の優越するのであれば、実効支配はわずかなもので事足ります。
It is impossible to read the records of the decisions in cases as to territorial sovereignty without observing that in many cases the tribunal has been satisfied with very little in the way of the actual exercise of sovereign rights, provided that the other State could not make out a superior claim. This is particularly true in the case of claims to sovereignty over areas in thinly populated or unsettled countries.


nannyanenn 2010/01/08 12:49
henchin_pokoider さん、沢山書いていただき有り難う御座います。
しかし、私の疑問にストレートにお答えは頂けなかったようです。

まず「公示性」については、私は「外部に対する公示性」と書きました。
クリッパートンの事例は、その意味で、対外的な公示性が認められた例です。
それに対して敢えてペドラ・ブランカの例をお示して、現地での実効支配を云々されておりますが、これは厳密には「外部に対する公示性」とは直接関係のない話ですね。

敢えて直接関係のない話を持ち出す意図はなんでしょうか。
間接的に対外的な公示性はないと認められたと解釈してもよろしいでしょうか。



はてなユーザーのみコメントできます。はてなへログインもしくは新規登録をおこなってください。

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/hagakurekakugo/20080525/p2
idトラックバック
幸せの鐘が鳴(r - その可能性は規制法の理由とするに足るほど十分高...
リンク元
162 http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/hagakurekakugo/20080525/p1
153 http://d.hatena.ne.jp/Lobotomy/20080524/p1
100 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/
86 http://norevisionism.ring.hatena.ne.jp/
84 http://d.hatena.ne.jp/
77 http://b.hatena.ne.jp/entrylist?sort=hot
49 http://d.hatena.ne.jp/n_euler666/20080524/1211652907
44 http://b.hatena.ne.jp/
40 http://reader.livedoor.com/reader/
38 http://d.hatena.ne.jp/usankusa/20080524/1211651551
<被害者の利益は嗜好者の利益より... | 嗜好者は加害者にもなりうる可能...> プロフィール
hagakurekakugo

カレンダー
<< 2008/05 >>
日 月 火 水 木 金 土
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

リンク集
Apes! Not Monkeys! はてな別館
Apes! Not Monkeys! 本館
クッキーと紅茶と(南京事件研究ノート)
ホドロフスキの記録帳
モジモジ君の日記。みたいな。
blackseptemberの日記
bat99の日記
十条くんネット漂流記
黙然日記
虚構の皇国blog
bogusnews : ボーガスニュース
エクストラレポート・ルーム
美しい壺日記
dj19の日記
成城トランスカレッジ! ―人文系NEWS & COLUMN―
Munchener Brucke
低気温のエクスタシーbyはなゆー
木走日記
勝谷誠彦様の華麗なる脳みそ
慰安婦FAQ
陸軍慰安所の設置と慰安婦募集に関する警察史料
陸軍慰安所の創設と慰安婦募集に関する一考察
日本軍の慰安所政策について
従軍慰安婦問題を論じる
日本軍の「慰安婦」制度(上の報告書の翻訳)
blog*色即是空
誰かの妄想
13日の水曜日
ノーモアのコメント録
kom’s log
彎曲していく日常
素通りできなかった時のために
国立でむぱ研究室櫻分室
安禅不必須山水-ni0615:イザ!
法華狼の日記
模型とキャラ弁の日記
シートン俗物記
Stiffmuscleの日記
vanacoralの日記
土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。
アンチ「ゴー宣」
戦史研究所 間違った歴史の本
双子のネコが木に登る
2ちゃんねるとネット右翼ウォッチング&その分析
ネットウヨ総督府 - ネット上の香ばしいネットウヨを嘲笑するブログ。
坑外のカナリアもさっき死にました iza 支店

最新タイトル
Xーsportsと容疑者X
Do VAIOがクソすぎて死ねる
サッカー日本代表が他人事ではない
iPod touchが起動しなくなってビビったぜよ
青木最高!格闘技最高!
iPodのリモコン付きイヤホンが壊れた。無料補償で交換されてきたのは…(追記あり)
底割れ
UFC107の感想
ジョジョ第5部 イタリア編のタオル窒息死の元ネタ
ipodが限界に近い。はよ来いtouch

最近のコメント
2010-02-07 Sunny_Side
2009-05-03 morimori
2009-08-23 ななし
2009-03-25 怒っています
2009-12-31 まつげエクステ 

最近のトラックバック
2009-02-18 awamomo探然事務所 - !-ポл榎掛弓芸鋼旨楯酢掃竹倒培怖翻慾處嘶斈...
2009-02-18 strange - 中川昭一
2007-12-02 Living, Loving, Thinking - 独逸育ち
2008-12-16 ディスコ探偵水曜日 下 (2)
2009-06-07 見えない道場本舗 - 大型テレビを買うと、格闘技放送の迫力はさらに...

フォロワー